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村おこしNPO法人 ECOFFでは、スタッフ3名が各々の地域に暮らし、活動しています。筆者もそのひとりで、岩手県大船渡市にある小さな漁村、綾里(りょうり)という場所に住んでコンサルタントの仕事をしながら、ECOFFの活動をサポートしています。東日本大震災以降、さまざまな地域振興に関わる仕事をしてきましたが、原点にあるのは「田舎の暮らしが楽しい」ということ。田んぼの除草、ホタテの水揚げ、山菜採り。まさに百聞は一見に如かずで、自分の手でやってみると雑草や貝、山菜の生態、手触りが楽しく、言葉を越えた感動がやってきます。
こうした体験を、もっと多くの都会人に体験して欲しい。そんな思いで2018年からECOFFの活動に携わってきました。
離島をはじめとした各地域で活躍するECOFF世話人の方たちは、いずれも魅力的で、あの人もこの人もご紹介したい……ところですが、記事のスペースに限りもあるため、今回は、筆者が関わる「三陸漁場コース」を含め2地域をピックアップ。地域と世話人、そしてそこで過ごすことで若者が成長する姿、その一端をECOFFの内側からの目線でご紹介したいと思います。
島民わずか14人。限界集落の屋形島コース
大分県佐伯市の湾口に位置する屋形島。この島の住民はわずか14人。好漁場にあり、1970年代には200人程度の島民がいましたが激減し、しかもその大半が60歳以上。「このままでは無人化してしまうかもしれない」と、ECOFF世話人の後藤猛さんは語ります。
かつては、窮屈で退屈な島を飛び出したい、もっと広く自由な世界に出てみたいと故郷を離れた後藤さん。テレビ局やアパレルのアルバイト、クラブのDJ、インド、ネパールやタイでのバックパッカーなどさまざまな経験を経て、「自由とは?」「ローカリズムとは何か?」といった根源的な問いを持ち帰り、現在は島で漁業とゲストハウスを営んでいます。
「自分は若いころに鬱屈した思いとか、悩み、違和感が結構ありましたが、海外に出て滞在先のゲストハウスでいろいろな人と対話するなかで、固定観念がよい意味で崩れ、救われたと感じた面がありました。異なる価値観の人と出会う。価値観を交換して、自分なりの発見をする。それって旅が終わった後にも人生の財産として生きるじゃないですか。そういうことがやりたくてゲストハウスを経営しているし、ECOFFにも参加しています」
世話人と島がうながす、参加者の成長
そんな後藤さんにとって、島という場所は「逃げ場がないから、考えるしかない、自分と向きあえる場所」であるといいます。屋形島世話人として設計する受け入れプログラムでは、ディスカッションを必ず設け、参加者と世話人で、自分の将来、生き方、社会のあり方など、多岐にわたるテーマで議論します。内向的でうまく話せない、盛り上がる議論に取り残される学生もいるといいます。しかし、「都会だったらいろいろな刺激もあって興味を他に逃せるけど、ここは本当に小さな島だし、一人だけの作業時間もあるから、そこでじっと考えざるを得ないんですよ。自分の劣等感とか、モヤモヤと向き合う、そういう時間を大事にしてほしいなと。予想もしていなかった参加者の変化に、今は手応えを感じています」。島という空間を活かしたこのプログラムは、参加者が新たな自分を見つける手伝いになっているともいえるでしょう。
都会とかけ離れた環境での共同生活。社会課題、または個人的、内面的な課題など、参加者にとって見つかる課題はそれぞれですが、滞在を通じて自分が変わる体験をしてほしい、人生の財産を持ち帰って欲しい。それはECOFF世話人に共通した思いです。参加者の大半が学生であるがゆえのトラブル、面倒は起きるものの、世話人たちは温かい目で参加者を見つめ、受け入れをしています。
震災から蘇った海で始まった三陸漁場コース
2010年、鹿児島県中之島という離島からスタートしたECOFF。現在では、理念はそのままに、離島以外にも活動を広げています。「三陸漁場コース」は岩手県大船渡市が舞台。市の中心部から離れた小漁村の世話人宅を活動拠点としています。ここの過疎高齢化の激しさは屋形島同様。震災以後、加速し、主要産業である漁業者の半数以上が65歳を超えています。
この地で筆者とともにECOFF世話人を務める佐藤寛志さんは、ダイビングショップの経営者。震災前はダイビングインストラクターとして海外中心に活躍してきましたが、震災後、「NPO法人 三陸ボランティアダイバーズ」を設立し、震災瓦礫の引き上げ、水中調査や清掃など、ダイバーだからこそできる漁場再興を続けてきました。現在は復興した浜でダイビングショップを経営しつつ、海洋調査、磯焼け対策など三陸の海を豊かにする活動を継続しています。
三陸ボランティアダイバーズを通して復興活動に参加したダイバーは、延べ5千人以上。これにより、閉鎖的だった漁村に変化があったといいます。
「震災前はダイバーと見ると、すぐに漁師に通報された。ダイバー、イコール密漁者と見なされていたから。それが今では、漁師自身がダイバーのために船を出してくれる」
こうした信頼関係がベースとなり、ECOFFの活動でも、漁場でのダイビング、漁業体験が実現しており、閉鎖的な漁村と都会がつながる回路になっています。ECOFF三陸漁場コースは、ダイビング講習、深夜の漁業作業と、毎日海と向き合い体力的にハードなコースですが、リピーターが尽きません。
三陸の海に宿る記憶や絆を、新しい世代に
ある参加者は、体験記にこう綴りました。
「自然に涙が溢れました。
最終日の夜、三陸の7年半の映像を見た時のことです。
その映像の前半に登場する海は、今回潜らせていただいた三陸の同じ海。その海が、瓦礫で埋まっているのです。家財道具や車や船が海底に沈んでいました。豊かな漁場の美しい海の姿は、そこにはありませんでした。
(中略)
綺麗な海を取り戻すために、漁師が、ダイバーが、地域住民が、各地からのボランティアが、力を合わせて瓦礫を引き上げる、その模様が描かれていました。
それを見て、自然に涙が溢れました。
(中略)
三陸の海は、いままでもこれからも、誰かにとって大切な場所。その豊かな海と10日間を供にして、自分たちにとっても、三陸の海が特別な場所になりました。
それを本当にうれしく思います。
そして、だからこそ、ここにはまた、戻ってきます」
震災からまもなく10年。記録映像や書籍は多数ありますが、長く記憶を伝承することは困難です。三陸の海に宿る記憶や絆を新しい世代に継承することに意義を感じ、佐藤さんは世話人としての参画を続けています。災害・復興の記憶に限らず、地域に眠る「目には見えないが、大事なもの」を継承するという点は、ECOFF全体としても大事にしている使命です。
このように、ECOFFの事業運営においては、地域でたくましく生き、志を同じくする世話人の存在が重要な基盤となっています。各々が若者たちへ愛をもち、次の世代にバトンをつなぐ努力をする世話人たち。こうした基盤がある一方、現在のプログラムは10日間と長い滞在期間を前提としており、社会人にとっては参加への障壁です。「短い滞在日数でもECOFFらしい体験を提供できないか?」と、社会人向けプログラムの構想を温めてきたのは種子島在住のECOFF理事、山田文香さん。次回は、ECOFFをきっかけに島に移住した山田さんの元をプロボノワーカーが訪れた記録を軸に、協働によるプログラム検討の進捗をお伝えします。