荒廃した日本の森を救いたい
「ただ家具を売りたいんじゃない。将来的には、やまとわの企業活動が環境問題の解決と直結するようにし、地域経済循環を通じて伊那をサステナブルな街にしたいんです」
森への想いをそう熱くやさしく語ったのは、株式会社 やまとわの代表取締役であり、職人として自らも製作に立つ中村博さん。もともとは高校卒業後に郵便配達の仕事をしていましたが、モノづくりへの興味を捨てきれず29歳で木工職人へ弟子入り。よい家具をつくりたいと必死に技術を磨いたといいます。
そんな中、森と地域の再生活動に取り組むようになる転機が訪れました。
「日本の悲惨な森林事情を知る機会があったんです。安価な輸入材が市場に出回るようになり、戦後各地に植えられた人工林は手入れもされず腐敗が進んでいる。実際、僕が小さな頃に遊んでいた伊那の森も適切な間伐 * がされず、太陽の光が届かない暗く不気味な森になっていました。あまりに森と人の暮らしがかけ離れている現状を、目の当たりにしたんですよね」
日本は、国土の約7割が森林という世界有数の森林国。にも関わらず、木材自給率は約36.4%(2019年)に留まっており、国内で使用されているほとんどが輸入材です。森林問題というと、多くの人は乱開発を連想し、「森を伐採してはいけない。木を植えて破壊を止めなければならない」と考えるかもしれません。しかし、今日の日本の人工林は、国産材が行き場を失って人の手を離れること、つまり伐らずに放置されることにより、弱体化するという問題を抱えています。間接的には、破壊への加担につながっているともいえるのです。
地域材を使った家具を作り販売することで、森と人の暮らしを豊かにする循環を生みたい──。人生をかけて取り組もうと覚悟を決めた中村さん。その矢先に出会ったのが、現在、やまとわの取締役・企画室長を務める奥田悠史さんでした。
「大学時代から森について学んではいたものの、あまりに壮大すぎる問題にどうしようもないと思っていました。でも当時家具職人だった中村さんと出会い、本気で森の現状を変えていこうとする姿勢に勇気をもらったんです。まずは小さなことからやっていこうと。中村さんと意気投合し、2016年に株式会社やまとわを立ち上げました」
* 間伐:植林後、成長に伴って、混みすぎた林の立木を一部抜き伐りすること(参考=林野庁ウェブサイト)
森と暮らしを豊かにする家具を
職人である中村さんが家具を作り、奥田さんが広報活動に必要なデザインやライティングを担う。絶妙なコンビネーションを発揮しながら着々と活動の幅を広げ、現在は4つの事業を社員19名で運営しています。
そして2019年11月に立ち上がった、伊那谷のアカマツを使った無垢の家具ブランド「pioneer plants」。アカマツの家具にこだわる背景には、「マツ枯れ病」の被害拡大がありました。マツ枯れ病とは、カミキリムシに寄生するマツノザイセンチュウという微小な生物が、カミキリムシを媒介としてマツの樹体に入り、枯らしてしまうもの。全国各地で被害が出ており、アカマツが多い伊那も例外ではありません。被害を防ぐために薬品を使うとアカマツの繊維は傷み、材木としては使えなくなってしまいます。
枯れゆく運命にあるアカマツを、枯れる前に材木として使いたい。人の暮らしを豊かにする家具として、再び息を吹き込みたい。そんな地域課題への想いのもと、立ち上がったのが『pioneer plants』でした。
今回プロボノチームが取り組むのは、この「pioneer plants」の販路拡大を狙った営業資料の作成です。対象は、首都圏企業。
「家の中でも使いやすいデザインと座り心地、軽さを兼ね備え、暮らしを身軽にしてくれる「pioneer plants chair」を多くの人に手にとってもらいたい。そしてもっと森とのつながりを感じ、関心を持ってもらいたいんです。プロダクトを通じて、地域や森への関係人口を増やせたらたいいな、と。でもどうしたら都市の人に届くのかがわからず……。苦戦しているので、ぜひプロボノチームのみなさんのお力をお借りしたいです」
森の問題を自分ごと化してもらうには?
キックオフミーティングでは、中村さん、奥田さんから「森と地域」への想いと葛藤を聞いたプロボノチーム。家具を売ることがゴールではない。人々に森の現状を知ってもらう、やまとわの活動を応援してもらう入り口として、「pioneer plants chair」を手にとってもらう必要がある。やまとわの現状をヒアリングし、このプロジェクトの真髄に触れたプロボノチームでした。
さっそく、具体的な企業ターゲットや『pioneer plants chair』の打ち出し方を詰めるため、情報収集を開始。また現地訪問に向け、実際に「pioneer plants」を作っているデザイナーや職人へヒアリングをする準備にも取り掛かりました。
やまとわの想い、森の現状を、誰にどのように届けたら、日本の森を救うことができるのか──。いつの間にか議論は、50年後、100年後の日本を見据えた大きなビジョンへと広がっていくのでした。